序章:私たちはなぜ、また同じ過ちを繰り返すのか?
2025年12月24日。東京都台東区の上野恩賜公園に、東京藝術大学との共同事業として新しい公衆トイレが誕生した。ところがそのわずか数日後、東京都は予想外の発表をせざるを得なくなった。防犯上の懸念から、早急な改修工事に着手するというもの。
このニュースに、深い失望とともに、公共デザインにおいて根本的な何かを学び損ねていると感じた人も多いのではないだろうか。
本記事では、単なる批判ではなく、この「失敗の現場」から抽出するべき実践的デザイン原則を提示してみる。なぜなら、この上野の事例は孤立した問題ではなく、日本の公共空間デザインが抱える構造的課題の典型例だからだ。
第1章:机上のアートか、地面に根ざしたデザインか──プロセス設計の欠陥
最も痛烈に感じたのは、このプロジェクトの設計プロセスそのものへの疑問だ。東京藝術大学との共同事業ということ自体は素晴らしい。しかし、芸術性と実用性のバランスは誰がどのように判断したのだろうか?
実際の利用者──特に、以下のような方々の声は、設計段階で十分に反映されていたのだろうか?
- 夜間の公園を利用する女性
- 小さな子どもを連れた保護者
- 高齢者や障害のある方
- LGBTQ+コミュニティの方々
類似の公共トイレプロジェクトを成功させている欧米自治体の多くは、「ユーザーアドバイザリー委員会」を設置している。カナダ・バンクーバー市の「All-Gender Washroom Guidelines」策定時には、12回の公開ワークショップと、200人以上の多様な住民からの直接ヒアリングが実施された。
対する上野のケース。報道によれば、2年近くの整備期間があった。しかし、利用開始から数日で改修が必要と判明するほどの根本的問題が、なぜ事前に検出できなかったのか? これは単なる「見落とし」ではなく、プロセス設計の欠陥を示している。公共空間のデザインは、「誰のためのデザインか」を最初に定義するプロセスから始めなければ、絶対に成功しないと考える。
第2章:ジェンダーレスデザインの名誉を毀損する「疑似ジェンダーレス」問題
SNSでは「ジェンダーレストイレがまた炎上」というフレーズが拡散された。ここに、大きな誤解と真の危険が潜んでいる。
まず事実を整理してみる。
- 上野公園のトイレは、公式には「ジェンダーレストイレ」と明記されていない
- しかし「男女別入口ながら内部でつながる」構造が、ジェンダーレストイレと誤認される要因となった。
- この誤認が、「ジェンダーレス=危険」という有害な一般化を引き起こしている。
これは真のジェンダーレス(オールジェンダー)デザインに対する「冤罪」だ。
実際に成功している事例を見てみると、例えば、東京・渋谷区の公共施設「withHarajuku」内のオールジェンダートイレ。ここでは以下の設計が採用されている。
- 完全個室方式:すべての便器が床から天井まで完全に区切られた個室
- 共有手洗い場:個室とは独立した明るい共有スペース
- 明確な表示:「すべての性別の方、どなたでもご利用ください」の多言語表示
- 防犯対策:個室内非常通報ボタン、廊下への防犯カメラ(顔認識なし)
この設計に対して、利用者アンケートでは89%が「安心して利用できる」と回答。重要なのは、上野公園と渋谷の事例が根本的に設計コンセプトが異なることだ。
上野方式:「男女別領域」を緩やかに接続 → 境界があいまいで不安
渋谷方式:「完全個室+共有スペース」 → プライバシー確保された安心
私たちは誤解すべきではない:問題は「ジェンダーレス」そのものではなく、「不完全なハイブリッド設計」にあるのだ。
第3章:心理的安全性を無視した「物理的構造」の罪
いよいよ核心だ。なぜこれほど多くの人々が「怖い」と感じたのか? その心理的メカニズムを解明してみる。
現地で確認された構造
- 男性エリア:小便器3台+個室1室
- 女性エリア:個室3室
- 中央:多目的トイレ1室
- 問題点:男女エリア間の仕切りが不完全で、視線が抜ける角度が存在
この設計が引き起こす3層の心理的不安:
【第1層:原始的な警戒心】
人間は、「背後からの接近可能性」 に対して本能的に不安を感じる。上野の設計では、手洗い中や個室待機中に、異性が背後から近づく経路が複数存在する。特に公園という開放空間から閉鎖空間に入る際の心理的ハードルを無視している。
【第2層:現代的な防犯意識】
日本の都市住民は、「犯罪機会理論」 を身体で理解しています。つまり「犯罪者が機会を見出す可能性のある環境」を直感的に避ける傾向がある。壁が不完全で見通しが利く=「盗撮やのぞきのリスクが高い」 と判断される。
【第3層:集合的トラウマ】
新宿歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレ問題(2023年)が集合的記憶として残っている。類似の構造的問題が繰り返されることで、「行政は学習能力がない」 という不信感が増幅される悪循環に陥っている。
優れたデザインとは、物理的安全性だけでなく、心理的安全性を同時に達成する技術だと考える。
最終章:未来の公共デザインへの5つの提言──上野の「失敗」を「進化の種」に変える
この「失敗」を無駄にしないために。以下に、実践的な5ステップチェックリストを提案してみる。これは、あらゆる公共空間プロジェクトに適用可能な原則だ。
【未来の公共トイレデザイン5原則】
原則1:プロセス・インクルージョン
- 設計開始前に、多様な利用者代表による「設計諮問会議」 を法定化する
- 特に、女性、障害者、LGBTQ+、子育て世代の参加をクォータ制で確保
原則2:段階的プロトタイピング
- 完成形をいきなり建設しない
- 実物大モックアップを作成し、実際の利用者テストを3段階以上実施
- テスト結果が設計変更に直結する意思決定プロセスを確立
原則3:透明性の確保
- 設計コンセプト、安全対策、監視体制を事前に公開
- 防犯カメラの設置位置、非常通報システムの動作を視覚化して説明
原則4:多層的安全対策
- 物理的対策:視線遮蔽の完全性、明るい照明、逃げ道の確保
- 技術的対策:非常ボタン、人感センサー、侵入検知システム
- 人的対策:清掃員の定期的巡回、管理事務所との直通連絡
原則5:継続的改善サイクル
- 開設後も半年ごとの利用者満足度調査を義務化
- 問題発生時は即時対応チームが48時間以内に改善案を策定
【未来の公共トイレ像】
将来的には新世代公共トイレが登場すると予測する。
- 適応型トイレ:時間帯や利用者密度に応じて、間仕切りが自動で変化する「スマートパーテーション」技術の実用化
- 統合安全システム:個室ごとの利用時間モニタリング、体調急変検知、不審行動アルゴリズム検知の統合プラットフォーム
- コミュニティ連携型:地元商店街・防犯パトロール・警察と連携した「安全の見える化ネットワーク」
結論:安全は与えられるものではなく、共創されるもの
上野公園のトイレ問題は、決して「ジェンダーレスデザインの失敗」ではない。それは、公共性を軽視したプロセス設計の失敗であり、利用者の心理を理解しない構造設計の失敗であり、過去の教訓を活かさない組織学習の失敗なのだ。
私たちが問うべきは:
「トイレをどう設計するか?」ではなく、
「私たちは、誰もが安心できる公共空間を、どう共創していくのか?」
この問いに向き合うことこそが、上野の「炎上」を、日本全体の公共デザイン革新の起点に変える唯一の道だと思う。

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