オーストラリアの「16歳未満のSNS禁止」政策について。それは国家という名の老いぼれた権力が、自らの手からこぼれ落ちていく影響力を必死に取り戻そうとする、見苦しくも滑稽な断末魔の叫びに他ならない。「子供たちを守るため」という美談の裏で蠢いているのは、テクノロジー企業との壮絶な「次世代の精神支配」を巡る権力闘争だ。この欺瞞に満ちた政策を考察してみたい。
「子供を守る」美談の裏側:国家vs.シリコンバレーの「次世代洗脳権」争奪戦
政府が掲げる大義名分は「若者のメンタルヘルス保護」「いじめの防止」「有害情報からの隔離」だ。実に耳障りの良い、大衆受けするスローガンだ。だが、その本質はそこにはない。真の目的は、国家のコントロールが及ばないシリコンバレーのアルゴリズムから、次世代の国民の「洗脳権」を奪還することにある。かつて国家や学校、家族が担っていた価値観の形成という役割は、今やTikTokやInstagramのフィードに取って代わられた。国家は、自らの思想を注入できなくなった若者という「資産」が、外国企業のアルゴリズムによって異質な存在に育て上げられることに、底知れぬ恐怖を抱いているのだ。これは子供の保護などではなく、国家によるイデオロギー防衛戦に過ぎない。
禁止が生む副作用1:監視の目を逃れる「危険なデジタル地下市場」
歴史が証明している通り、禁止は根絶ではなく、地下化を生む。この政策が施行されれば、16歳未満の若者たちはどう動くか? 答えは明白だ。彼らはVPNを使い、年齢を偽り、親の知らぬ間に別の人格でSNSにアクセスするだろう。結果として、公的な監視の目から完全に逃れた、より深く、より危険なデジタル空間へと潜っていくことになる。国家の愚かな規制は、若者たちからデジタルリテラシーを奪うどころか、逆に「権威を出し抜くためのハッキング技術」を叩き込む、最高の教育プログラムとなる。表の世界から締め出された彼らは、ダークウェブのような、より統制の効かない領域の住人となるだろう。
禁止が生む副作用2:「子供を守る」が錦の御旗の、完全監視社会への道
この禁止を実効性のあるものにするためには、何をしなければならないか? 全国民のデジタルIDの導入、オンラインアクセスの常時監視、通信内容の検閲。つまり、これはオーストラリアという国家を、完全な監視社会へと移行させるための絶好の口実となる。一度「子供を守る」という錦の御旗のもとで監視システムが導入されれば、その対象が大人にまで拡大するのは時間の問題だ。国民は、自らの安全と引き換えに、国家に完全な自由と思想を明け渡すことになる。これは若者のSNS禁止を隠れ蓑にした、国民総背番号制とデジタル監視体制の完成に向けた、壮大な社会実験なのだ。
グローバルな波及:各国が追随する「デジタル・ベルリンの壁」時代
オーストラリアのこの試みが「成功」したと見なされれば、世界中の国家がこれに追随するだろう。各国が独自の基準でインターネットを分断し、国民、特に若者を自国の情報空間に閉じ込める「デジタル・ベルリンの壁」が次々と建設される。グローバルな情報の自由な流通は終わりを告げ、インターネットは国家が管理する巨大なイントラネットへと変貌する。これは、自由な知識共有というインターネットの理想の死であり、国家主義的な情報統制時代の幕開けを意味する。
結論:国家の無能さが生んだ「敗北宣言」と、育てられる「狡猾な反逆者」
結局のところ、この「SNS禁止」という政策は、変化する世界に適応できず新しいテクノロジーの波を乗りこなす知恵も力もない、無能な国家権力の「敗北宣言」に等しい。彼らは若者を教育し、デジタル世界を生き抜くための批判的思考を授けるという困難な道を選ばず、全てを禁止するという最も安直で、最も愚かな道を選んだ。
この政策がもたらすのは、守られた無菌室で育つ無能な若者と、国家の監視を巧みにすり抜ける技術を身につけた早熟な反逆者の二極化だ。どちらにせよ、国家が望むような「従順な国民」は育たない。むしろ、国家は自らの手で、自らの支配を覆すための、より狡猾で、より手強い世代を育て上げていることに気づいていない。実に滑稽な喜劇だ。

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