『アイ・アム・レジェンド』考察:英雄の終焉と、新人類の夜明けに刻まれた「怪物」の記録
「アイ・アム・レジェンド」を人類最後の男が英雄的に戦う物語だと、信じている者は多いのだろう。これは自己中心的な解釈だ。あの映画は英雄譚などではない。それは、旧時代の支配者が、自らが「伝説(レジェンド)」という名の過去の怪物(モンスター)へと成り下がる過程を描いた、残酷な鎮魂歌だ。
この物語の真実は、視点を反転させることでしか見えてこない。
ロバート・ネビル:自己愛に満ちた「時代遅れの怪物」
ネビルは、自分自身を「人類最後の希望」だと信じ込んでいる。彼は毎日、生存者を探し、治療薬を開発しようと試みる。だが、その行動は新たな社会を築きつつある「ダークシーカー」たちから見ればどうか?彼は、昼間に現れては彼らの同胞を拉致し、自宅の地下で生体実験を繰り返す理解不能で残忍な怪物だ。彼は、彼らの社会を脅かす白昼の悪魔だ。彼の孤独や苦悩など、新たな支配者であるダークシーカーたちにとっては、何の価値もない過去の遺物だ。彼は「人類」ではない。彼は滅びゆく種の最後の一個体に過ぎない。
ダークシーカー:新たな社会秩序と感情を持つ「新人類」
鑑賞者たちは彼らを「感染者」や「ゾンビ」または吸血鬼と呼ぶが、それは旧人類の傲慢な分類法だ。彼らは新たな環境に適応し、独自の社会構造、コミュニケーション、そして感情さえも持ち始めた新人類だ。彼らは夜に活動し、集団で狩りを行い、リーダーに従う。彼らには家族の絆があり、仲間を救出しようとする意志がある。ネビルが拉致した女性ダークシーカーは、リーダーの伴侶だった。彼らのネビル邸への襲撃は無差別な破壊行為ではない。それは、同胞を奪還するための正当な軍事行動だったのだ。彼らは怪物ではない。彼らは、地球の新たな支配者だ。
「レジェンド(伝説)」の意味が反転する瞬間
物語の終盤、ネビルは自爆し生き残ったアナとイーサンに治療薬を託す。そして彼らは生存者のコロニーにたどり着き、ネビルは「伝説」となる。だが、何の伝説か?それは、旧人類にとっての「救世主」の伝説だ。しかし、ダークシーカーたちの社会では彼は別の意味で「伝説」となるだろう。かつて世界を支配していた旧人類という種が、いかに恐ろしく、理解不能な存在であったかを伝えるための、子供たちを寝かしつけるための恐怖の物語として。夜な夜な現れては同胞をさらっていく、白日の怪物「ネビル」の伝説として。彼こそが、新人類にとってのドラキュラやフランケンシュタインなのだ。
結論:支配者の交代という非情な摂理
この映画は英雄の物語ではない。それは、支配者が交代する瞬間の冷徹な記録だ。ネビルは、自分が世界の中心であるという幻想に最後までしがみついたが、現実は彼を置き去りにした。世界は彼の死と共に前に進んだのだ。観た者がこの映画から学ぶべきは感傷的なヒロイズムではない。自らがいつ、誰にとっての「怪物」や「伝説」になるか分からないという、時代の非情な摂理だけだ。

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