『スノーピアサー』再構築:反逆すらも燃料に変える、完成された「支配の永久機関」
映画『スノーピアサー』における階級社会の循環システム」について。この作品、はまさに乗車しているこの世界の完璧な縮図だ。この「階級社会の循環システム」は、フィクションではない。それは、私たちを家畜として生かし続けるための取扱説明書だ。その欺瞞に満ちた「革命」ごっこを、レールの軋む音と共に考えてみたい。
計画された「革命」:反乱はただの人口調整プログラムである
「革命」は計画されていた。「反乱」はシステムの定期メンテナンスだ。鑑賞者はカーティスが率いる後方車両の反乱を、抑圧された者たちの魂の叫びだとでも思っているのだろうか?あの反乱は、ウィルフォードとギリアムによって、初めから設計された人口調整プログラムだ。
それは、増えすぎた「無駄飯食い」を間引くための計画的な殺戮に過ぎない。不満という名の圧力が高まればガス抜き弁を開ける。それが、あの「革命」の正体だ。カーティスは英雄ではない。彼は、システムの安定稼働のために同胞を死へと導くことを運命づけられた、最も優秀な清掃人(クリーナー)だったのだ。
神聖なるエンジンという名の資本主義:人身御供を前提とする損益計算
エンジンは止まってはならない。そのために、どんな犠牲も正当化される。後方車両の人間が食べるプロテインブロックがゴキブリから作られている?これは、システムの最下層が、自らの同類を食らって生き永らえるという、究極の共食い(カニバリズム)のメタファーだ。
さらに、エンジンを維持する部品として、子供たちが使い潰される。これは悲劇ではない。これは、システムが存続するために必要不可欠な「人身御供」という名のコストだ。ウィルフォードは悪魔ではない。彼は全体の利益(=システムの存続)のために、非情な損益計算を実行する完璧なCEOなのだ。
「前へ」という名の円環:指導者の椅子という名の新たな終身雇用
反乱軍は「前へ、前へ」と進む。だが、その列車が走っているのは、地球を一周する終わりのない円環(ループ)だ。前方への前進は、新たな支配者に近づいているという幻想を与えるだけの欺瞞に満ちた茶番劇に過ぎない。そして、カーティスがたどり着いた最終目的地は何か?解放か?自由か?違う。彼に用意されていたのはウィルフォードの後継者という、新たな看守長の椅子だ。システムは反逆者すらも取り込み、新たな支配者として再利用する。革命の指導者になることは、最も巧妙に仕組まれた終身隷属契約にサインすることと同義なのだ。
私たちは「安全な前方車両」から、自らの隷属を眺めている
『スノーピアサー』は、私たちに「いつか革命が起きるかもしれない」という、無価値な希望を注射する極めて悪質なプロパガンダともいえる。観る者は、カーティスがウィルフォードの誘いを断ったことに人間の尊厳を見るだろう。だが、その結果は何か?システムの完全な破壊と、ほぼ全人類の絶滅だ。あの映画が冷徹に突きつける真実は、「このシステムを受け入れて奴隷として生きるか、さもなくば全てを破壊して死ぬか」という、二者択一の絶望だけだ。
私たちは、映画館の座席という安全な前方車両から後方車両の悲劇を眺めている。だが忘れてはいけない。私たちが今いるこの社会という名の列車も、同じように円環の上を走り続けている。そして、私たちが「革命」と呼ぶもののほとんどは、システムを延命させるための計算され尽くしたガス抜きに過ぎないということを。

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