分散型SNSについて一部の人々は、これを権力からの解放を約束するデジタルな理想郷と見なしているかもしれない。しかし、従来の権力構造から逃れることが新たな課題を生まないとは限らない。この問題について考察を深めてみたい。
検閲が完全に「なくなる」のではなく、「形態を変え、より複雑で責任所在が不明確なものになる可能性がある。従来の予測可能な管理から離れた先に、多様な影響力が混在する環境が待っているかもしれない。
- 権力の分散が生む新たな構造
「中央管理者がいない」という特徴は、「誰もが平等だ」という理想を想起させる。しかし、自然が真空を嫌うように、権力構造も完全な空白状態を維持するのは難しいかもしれない。中央の管理主体が消えれば、そこに新たな影響力を持つ存在が現れる可能性がある。
プロトコル開発者の役割:
分散型システムの基本的なルール、すなわち「プロトコル」は誰が作成するのだろうか?通常は限られた開発者たちだ。彼らはコードの変更を通じて、システムの基本的なルールを調整することができる。彼らの理念や技術的判断が、ユーザーが「自由」と感じる空間の基礎的な枠組みを決定する可能性がある。これは明確な管理から、技術的知識の背後に隠れた影響力への移行と言えるかもしれない。
サーバー運営者の立場:
データはどこに保存されるのだろうか?誰かが運営する「ノード」や「サーバー」の上だ。これらの運営者は、デジタル空間の基盤を維持する役割を担う。彼らは、自らのサーバーにおいて不適切と判断するアカウントやコンテンツを扱わない選択ができる。これはプロトコルレベルでの制限ではないが実質的な選択であり、より個別的な判断による「除外」の可能性がある。多数のサーバー運営者が同様の判断をすれば、それは広範な影響を持つ可能性がある。
影響力を持つユーザーの役割:
権力が分散すれば、社会的影響力、すなわち「人気」や「信頼」が重要な要素となる可能性がある。多くのフォロワーを持つインフルエンサーが特定の見解を示せば、多くのユーザーがそれに影響を受けるかもしれない。これは集合的な意思形成の一形態と言えるだろう。企業による体系的な管理よりも、多様なユーザーによる自発的な評価と選択の方が、異なる種類の影響を持つ可能性がある。
- 「検閲」から「フィルタリング」への変化
完全に無秩序な情報の流れに、人間は対処しきれないかもしれない。スパム、詐欺、違法コンテンツといった課題がある。結局、ユーザーは誰かに「適切な情報だけを整理してほしい」と求めることになる可能性がある。
そこで重要となるのが「クライアントアプリ」や「モデレーションリスト」だ。
クライアントアプリによる情報整理:
ユーザーが分散型SNSにアクセスするために使うアプリが、コンテンツを整理・表示する。プラットフォーム本体は「直接的な管理をしていない」と説明するかもしれないが、実質的な情報整理の機能はアプリ開発者に委ねられている可能性がある。ユーザーは、どのアプリを選ぶかによって、どの「情報環境」の中で活動するかを選択することになる。
選択的な情報フィルタリングリスト:
ユーザーは、「信頼できる」第三者が作成したブロックリストやミュートリストを参照することがあるかもしれない。これは自らの判断を補完し、特定の視点に基づく情報整理を利用する行為だ。結果として生まれるのは、特定の視点に偏った情報環境かもしれない。
管理の形態は消えないかもしれない。それは「モデレーション」「フィルタリング」「キュレーション」といった別の言葉で表現され、責任の所在が異なる形で、情報環境を形作っていく可能性がある。
- 持続性がもたらす課題
「一度書き込まれたデータは誰にも消せない」――これを「管理からの自由」と見るのは、単純すぎるかもしれない。それは同時に「過ちや悪意のある情報が長期に残る」という課題の始まりでもある。
中央集権型プラットフォームであれば、リベンジポルノや個人情報の漏洩といった問題のある投稿を(時間はかかっても)削除できる可能性がある。しかし分散的に保存された悪意のある情報はどうだろうか?それはデジタルな記録として長期に残り、影響を受ける人々を苦しめる可能性がある。
匿名性と持続性の組み合わせは、ハラスメントと誹謗中傷の問題を複雑にする可能性がある。加害者が特定のリスクを負わずに他者に影響を与え、その情報が長期に残る可能性がある。ユーザーが手に入れた「管理されない自由」には、他者に長期的な影響を与える可能性も含まれるかもしれまない。
結論
分散型SNSが変えるのは「管理」という行為そのものではなく、責任を負う明確な「管理主体」の存在形態かもしれない。その結果、権力は分散し、より複雑で把握しにくい形で再編される可能性がある。ユーザーは明確な管理主体による統制から、多様な影響力が混在する、より複雑な環境へと移る可能性がある。
テクノロジー自体が理想郷をもたらすわけではないかもしれない。それは常に、人間の特性や社会的関係を反映し、変化させるための道具でもある。私たちが真に考えるべきは、特定のシステム構造だけではなく、いかなるシステムであろうと、その中で新たな関係性や影響力の構造が生まれてしまう、人間社会の本質的な性質なのかもしれない。

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